恋に関する覚え書き



オムライスが食べたい。
いや、誰かにオムライスを食べてもらう方が格段に嬉しい。


一人の食事はルーティーンだ。
口から食道を通って胃に入り排出される、モノとして消費されてしまうだけ。
一昨日の夜に何を食べたかなんてもう忘れてしまった。


誰かと食事をする場合、そこにある時間は一回性を宿している。
抱えた心労や重たい荷物を一旦降ろして、卵に包まれたチキンライスを口いっぱいに頬張る。

話をする。
次はどこにいこうか。

笑う。
砂漠に水が溶けてゆくように。




やがて記憶になって思い出されることを願っている。
ディズニーランドや真っ赤な夕焼けや下北沢には勝てなくたっていい。


いつか孤独な寂しい夜に一度だけでも思ってくれたら。
「あのオムライス、味薄かったな」って。
「でも幸せな時間だったな」って。










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人間には目の前の誰かが幸せになるのを見て、自分も幸せになることができるスイッチがある。



赤ちゃんが無邪気に笑うときや、子猫がミルクを飲んでいるとき。
あの込み上げる多幸感はなんなのだろう。
確実に脳から幸福汁が出ているし、目はハートになっている。



あるいは、誰かが静かな寝息を立てているとき。
ただ寝ているだけなのに。
あるいは、誰かがチョコをガリガリ齧っているとき。
ただ食べているだけなのに。



ああ、スイッチは押されてしまったのだとおもう。
ポチられてしまった!
このひとのことが本当に好きなんだなと悟ってしまうのだ。

誰かではない、あなたでなければならないのだ。


なんでもないふつうのことがスイッチを押された瞬間から、幸せに形を変えてしまう。




おそろしや、相手のスイッチは押されているかわからないのに。

押したい。
安心して好きになりたい。
ポチッ。





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君がカラオケで歌う曲を僕は知らない。


君の生きてきた時間がそこにあるのだ。
君が通って来た道がそこにあるのだ。
聞き漏らさぬように感じ忘れぬように必死になって、自分が歌うことなんてどうでもよくなってしまう。



その歌は君を知っている。
朝のけだるい表情も、保健室の憂鬱も、ベッドの上で泣いた日も。
痛みも傷も真実も嘘も。

ヘッドフォンから、君へ。
聴きたい時に聴きたい歌を届ける。


そんな僕の知らない記憶を思えば思うほど、無力感が襲ってくる。

何も知らない。
知らなすぎるのだ。

「あまりにも小さすぎる、あまりにも」と。
そのモノサシが僕をグサグサと突き刺して死んでしまいそうになる。







けれども、過去に囚われすぎるのはよくない。
一般的に言っても、経験則からしても。
ドラえもんは殺されてしまった。


結局のところ、いまを積み上げることでしかほかでもないいまに勝てないのだ。
過去の埋め合わせでもなければ未来の前借りでもない。
そこにある意識と意識をこすり合わせることでしか時間は輪郭を現さない。

意識の中に未来はある。意識の中にしか、ない。



いつかどこかにいっちゃいそうないまを必死に抱きしめている。
逃がさないように捕らえている。
現在という檻の中で幸せに暮らしたい。



知らないことは悪ではない。
知らないからこそ知り得ることは山ほどある。
全てのマニアも最初はミーハーだったのだ。
好きになるのに遅すぎるということはない。





ここからでいいのだ。
全力でなくたって、いまと並行して向き合ってさえいれば。

いまも過去になってしまうのだから。
それがいずれまた道になるのだから。
消えないように何度でも名前を呼ぶだけだ。






君と、生きてるだけの、いまが、愛。