貧困とおっぱいと釣り竿。『万引き家族』を観てきたのでレビューする。

松岡茉優のおっぱい

だけ見てたそこのあなたへ。
遅ればせながら「万引き家族」を観てきたので感想書きたいと思います。

 

郊外のシネコン

観てきました。腕に龍の入ったヤンキーとその連れのギャル、襟足の長い子供たちのいる館内をすり抜け劇場へ。
観客はまばらで20-30代一人女性客がぽつぽつなレイトショー。

 

「おもしろい」というよりは「目を背けたくなる」タイプの映画でした。
多くの切り口があって語ればキリがないのですが

・エンターテイメントとして伏線回収の気持ちよさ

松岡茉優のおっぱいの画力

(海街diary長澤まさみの脚がそうであったように)

安藤サクラの肢体
・子役含め、演技力の高すぎる俳優陣 
・生々しいJK見学店の描写
➜フジテレビ資本なのにテレビ放映できるのか心配になるほど…

 いろいろ観るべきポイントの多い映画でした。

 

1回しか観てないので答え合わせしてませんが、映画を観た勢いのまま書いてみます。

 

(以下、ネタバレを含む感想です)
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東京の下町。高層マンションの谷間に取り残されたように建つ古い平屋に、家主である初枝の年金を目当てに、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀が暮らしていた。彼らは初枝の年金では足りない生活費を万引きで稼ぐという、社会の底辺にいるような一家だったが、いつも笑いが絶えない日々を送っている。そんなある冬の日、近所の団地の廊下で震えていた幼い女の子を見かねた治が家に連れ帰り、信代が娘として育てることに。そして、ある事件をきっかけに仲の良かった家族はバラバラになっていき、それぞれが抱える秘密や願いが明らかになっていく。息子とともに万引きを繰り返す父親・治にリリー・フランキー、初枝役に樹木希林と是枝組常連のキャストに加え、信江役の安藤サクラ、信江の妹・亜紀役の松岡茉優らが是枝作品に初参加した。
https://eiga.com/movie/88449/

万引き家族作品情報 映画.com


思い出した2つの貧困映画

血の繋がりのない6人が、身を寄せ合い生きていく。
この家族がいつか終わってしまうことを誰もがどこか気づいている。

当事者である彼らに加えて、観客である私たちも。

 

この映画を観てパッと頭に浮かんだ映画が2つあります。

1つは『そこのみにて光り輝く』で、散らかった部屋で身を寄せ合って生きている様や、食事メニューの粗雑さ、貧困の連鎖を断ち切れないカルマが共通してるなと。

もう1つは『東京ゴッドファーザーズ』です。

幼い子をさらって自分たちの手で育てるという共通のモチーフ。

彼らはオカマでありホームレスですが、同じく貧困を背負って生きる身でありました。

 

一方は生活をともにし、一方はそれぞれの幸せを掴む。

どちらの映画も希望を感じさせるような終わり方でした。

 

万引き家族においてはハッピーなのかバッドなのか、観客にその後を委ねる構成になっています。この映画が社会問題性を孕み、自分の周りでもあるかも…というリアルな描写が多いこともまた、この映画を語ってしまう要素なのかもしれません。

 

万引き家族における“盗み”

タイトルにもある「万引き」に加えて、この映画には「盗み」がテーマとして通底しています。

簡単に

1、店頭からモノを盗む➜万引き
2、人の家族から人を盗む➜誘拐
3、人の心を盗む➜???

のような構造を取っていると解釈しました。

 

1、2が明確な犯罪行為であるのに対して
3が場合によっては深い愛情であったり、罪であったりすることがこの映画の重要なポイントです。


慈愛による盗み、これは果たして罪なのか。

人を救うための誘拐は、愛じゃないのか。

 

安藤サクラリリーフランキーはそれを客観的に証明することができませんでした。

また松岡茉優樹木希林に対して「お金じゃない繋がり」を感じ取っていたことにも通じます(樹木希林の言葉もまた、警察の聴取によれば嘘であったのかもしれないのだけれど)

 


メディアを通して届けられる際には事実を反映しないこと、結果として全体最適を得られない刹那がまざまざと描かれます。

あのベランダからすべてが始まり、またベランダで終わる。

 

どうすれば彼女を救えたのか。

 

観客である私たちは、母親と呼ばれたかった安藤サクラの表情に釘付けになり、エンドロールをぼーっと観ながら考えずにはいられない。

 

“釣り竿”という希望

仕事がない、カネがないことが家族の「将来への不安」を覆う中で
その対比的なアイテムとして“釣り竿”がありました。

この物語における一番のキーアイテムだと思います。

 

家族たちの万引きの主な対象はお菓子、カップラーメンなど食べ物が多くその場消費的なアイテムでした。

試着室で豪快に盗んだ水着もシーズナルな娯楽のためのモノです。
一方で、釣り竿は投資的な性格を持った道具です。

釣りはそれ自体では意味を為さず、魚を釣ることによって初めて効用を得ることができます。道具を使うためには知識が必要です。

 

アフリカの貧困層へ援助を行う際

「魚を与えるな。釣りを教えろ」という言葉がありますが
これは即物的な対応ではなく、そこにいる人間が自立してこそ、根本的な解決へと繋がるという、ひとつ代表的な示唆だと思います。

 

リリー・フランキーの「売って金にしよう」という言葉はまさしく貧困的思考から発せられるもので、その場しのぎの行動です。
物語のラスト、息子が釣り竿を使えるようになっている点は前段とのコントラストがくっきりと現れ、象徴的なシーンのひとつでした。
釣りのやり方を知ったのも、本という貧困にいる環境から離れたアイテムで、「道具を使う」ことを息子が覚え始めたことをより強調します。
息子は振り返らず、リリー・フランキーは置いていかれたわけです。そして父になれず。

  

感想

「空気人形」「海街ダイアリー」「そして父になる」を事前に観ていて、これが自分にとっては是枝裕和4作目でした。

物語の進め方、メタファーであるアイテムの散りばめ方が秀逸でまた何度も観たくなる映画です。

 

女性がどう観たかは気になります。

性的な描写も多く、イケメンが出てくるわけでもないので。

また個別に切り出して語りたくなるテーマも多く、興行収入が伸び続ける理由も理解できました。

 

家族はきわめて私的な空間であり、不可侵的な単位でもあります。

いま考え巡らせているのは、極めて家族的な愛情や慈愛は誰によって証明されるのかということ。

 

内的に湧き上がる感情は言葉と身体的な接触により伝え続けることでしか証明ができません。例えば、供述とセックスがその感情媒介の手段です。

とても拙くて脆いけれど、どちらもメディアを介さない直接的なコミュニケーションです。

ひさしぶりにマクルーハン先生を読みたくなりました。

 

愛が傷のように浮かび上がって、そのまま届けられたら苦労しないのにな…

なんて野田洋次郎みたいなことを考えてます。

でも、愛は可視化しないからいいんですよね。ドラマになるし、家族になる。

 

これは一人で観てよかった映画でした。

おすすめしてくれた人々と松岡茉優のおっぱいに敬礼。

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