恋愛って「一つのことしかできない」ことが賛美される唯一の行為かもしれない

愛の形は人それぞれだけれど、愛の重さは測れるような気がする。
完璧な天秤は必ずどちらかに振れる。
もちろん、その意味は測れないのだけれど。





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学業や仕事においてはあらゆることに手を出して成績を修めることが優秀さの証明になる一方で、恋愛ではひとりの人を一心に愛すことが求められる。

それはダメな人間ほど得意な行為なのではないか。
メンヘラの自己破滅的な恋愛所作などは最たる例だ。


ダメな人間は生きる窓口を全然持っていないから、「好きな人」という窓に対してすべてのリソースを投げ込むことができる。花を挿したり、食事を置いたり、時折愛を捧げてみたり。

コンビニで買ったミネラルウォーターを口に含みながら、不安と喜びで気絶しそうな夜、愛を確かめるにはやや不十分な恋人の裸体の上で、漏れたのは喘ぎ声かはたまた溜め息か。




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ダメな人は往々にして利他的である。
良くいえば一途、悪く言えば馬鹿だ。

その窓が割れてしまったときのことを考えたりはしない。とにかく愛を信じている。いや、そうではないとしたら。ガラスの破片が飛び散って自分の身体を傷つけ血が出て痛みを感じる、それを歓びとするような性感体があるのだろうか。


生きること全般において、分散投資したほうが被る損失は少なくて済む。悲しみも喪失もほかのなにかで紛らわすことができる。

なのに、どうして、そこまで愛してしまうのか。
レバレッジマシマシで突っ込んでしまうのか。



もしかしたら、過去「救われなかった自分」を慰めるために誰かを愛しているのか。

あの時手を述べて欲しかったから、誰かを愛すのか。
自分を愛すことができないから、誰かを愛すのか。


忘れてはならないのは二人の効用最大化を目指すことが、どんな関係であろうと大切だということ。独りよがりにならないこと。




まあ、ワガママで独りよがりで視野が狭くて、本谷有希子の小説に出てくるような女って痛々しくて愛おしいんだけどね。