童貞的な、あまりに童貞的な

 

 

■童貞の季節に君を想うということ

童貞というのは長いトンネルだ。

男という生き物はすべからく童貞としてオギャーと生まれてくるが、思春期を経て一人また一人と卒業していく。そのような状況を羨ましくも妬ましくも感じながら、童貞である男は焦っている。恥ずかしいとさえ思う。



「電車待ちでいつも一緒になるあの娘、もしかしたら俺に気があるんじゃないか」
「放課後、もしかしたらあの娘が誘ってくれるかもしれない」
「あの娘僕がロングシュート決めたらどんなセックスしてくれるんだろう」
 
 
長いトンネルの中でそんなあり得ない光を考えて、だけどそれは叶わなくて。いつも通り家に帰って“自分磨き”して絶望の夢を見る。
 
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■童貞後の世界

 
セックスは誰もいない静かな場所で二人で隠れてするもの。大好きな相手と向き合う時間であり、それが初めてであれば過度の緊張に襲われる。しかしどんなに待ち望んだことであろうと、始まってしまえばなんのことはなく終わってしまう。挿入した瞬間ファンファーレが鳴り響く訳でもない。卒業後に羽根が生える訳でもない。それでも、たしかに景色が変わる。
 
女の子を抱いた、というその一つの事実だけで世界は変わって
しまう。
その正体は「俺は知ってるんだぞ」という優越感かもしれない。セックスしたくらいで女を知った気になるなんて馬鹿らしいが、多くの男子を人生で初めてのセックスが変えてきたことは間違いないだろう。
 
 
 
 

■童貞の果てに

 

セックスを経験すると、あらゆる感触が現実となって現れてくる。セックスの前に抱いていた官能的な夢がここで終わるのである。したがって今までの想像上の感覚は全て失われてしまうことになる。無限のイメージは、初めての女に置換されてしまう

 
 
 
 
 
それ故に男たちは、別れた女に、たった一人の女に、縋り付いて泣くのではないかとも思う。
よく男は「名前をつけて保存」なんていうが、意外と当たってるような気がする。初めての恋が終わる時に果てしない絶望を感じるのは、恋人が代替不可能な存在だと勘違いしているから。この大いなる勘違いこそが“ピュア”と言われているものの正体かもしれない。
 
童貞がピュアであることは言うまでもない。
あらゆることが初めてで、彼女の手を繋いだりするだけで幸福だ。
全てを失っても、彼女を守りたいと本気で思ったりする。
彼女を失うことなんて想像もできないし、永遠に二人で過ごす約束を本気でしたりする。
 
しかしある程度経験を重ねていけばそうはいかなくなる。
恋愛というゲームに別れは付きもので、それは起こりうるものだと想定しなければならない。齢を重ねた“大人”はそう何度も壊れていられない。
 

 

話が変わるが、ビッチという存在はピュアな恋愛に疲弊した結果なのかもしれない。
永遠を夢見るようなゲームに疲弊した女の子たちがあえて自らビッチになり、男にこびたり気軽にセックスするのではないか。本当は脆い自分を守るために。
 
 

■いつも心に童貞を

童貞卒業が満たしてくれるのは快楽だけではない。
絶望と罪悪感だけに支配された暗黒時代を蹴っ飛ばしてくれる。
 
しかし、童貞であることは悪ではないのもまた事実である。
 
童貞は「もしかしたら」を夢想することができる。
童貞はもしかしたらだけで頑張れる。
もしかしたらこの努力が童貞卒業のための布石になるんじゃないか。
 
「お金いっぱい稼いだら、女の子はほっとかないらしい」
「本気で汗流す姿に女の子はグッとくるらしい」
 
淡い期待を抱いてマジで受験勉強したりマジでサッカーしたりするんでしょう。男の子って。馬鹿だなあ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なんて、彼女にフられた夜に、こんなこと考える俺って本当に馬鹿だなあ。