なぜギャルの若者言葉は大人に理解されないのか

 

さんま御殿で「イマドキギャルvsしっかり大人」みたいなテーマでトークしていた。

番組の大半が「若者言葉」についてで、ちょっと語りたい気分にさせられたので書いてみる。
 
 
 

■番組について

・出演者

ギャル組には水沢アリーとか指原とか今井華とか、いわゆるおバカ系
大人組には石原良純とか北村弁護士とかラサール石井とか、いわゆるインテリ
 
大人が不満を語り、ギャルがそれに反論して、さらに炎上するみたいな基本構成で番組が進んでいく。
 
 

■大人たちの怒り

はいはいありがちなテーマだなーと思いながらもなんとなく見ていたんだけど、ちょっと引っかかる部分が出てきた。主に3つ。
 
①北村弁護士 「肯定的な意味で“ヤバい”を使う事」
例、「この肉ヤバくない?」「クソうまい」
 
ラサール石井 「“絡みづらい”“空気読む”とか業界用語を一般人が使うこと」
 
③石原良純 「自分の娘がそんな言葉使ってたら注意するんだけど」
 
うーん。
分かるようで分からない。
以下、大人たちの持つ若者言葉への不満に対して反論していく。
 
 

北村弁護士さん、バカじゃないんだからわかるでしょ

古文習ったよね?
「いみじ」
これは「良い」にも「悪い」にも使われていた言葉で、どちらにせよ「程度がはなただしい」ことを示す。
いまの「ヤバい」の使われ方とほとんど一緒だと思う。
 
じゃあ古文における「いみじ」の意味をどうやって確定させるかっていうと大学受験した人なら誰でも知ってるけど、文脈で推論する。
意味が曖昧で幅広くて自由度のある言葉はそうするしかない。
 
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いつまでも原義に縛られるっていうのはある意味で法律家的かもしれないけれど、ちょっと柔軟性無さ過ぎ。
さようなら。
 

ラサール石井さん、正直意味がわからない

言葉が特定の文化圏を越境していくことはごくごく当たり前だし、もしそれが認められないのだとしたら物凄く短気だね。
お笑いノリを大学生が調子こいて真似するな、みたいな怒りだったらまだ共感できるんだけど。
さようなら。
 
 
 

■石原良純さん、君には分からないのだよ君には

ここが一番書きたかった!
 
まず新しい言葉の発信者は若い女性であるというのは昔からずっとそうだった。それまで「腹が立つ」という表現しかできなかったものを「ムカつく」と言ったのは80年代女子中学生だと言われている。「おこ」も女子高生のあいだで流通し始めた。
 
なぜ女性なのか。
 
男性に比べて女性は小さい頃から言葉について注意される。「そんな言葉使っちゃいけません」という禁止がその例と言える。
女性には子供のころから「丁寧さ」が求められている。おしとやかと言えば聞こえはいいんだけど、言い方を変えれば「女は下がっていてくれたほうがいい」という暴力に違いない。
 
日本で女として生まれると小さい頃から女ことばを使うことを求められる。一番の問題は女ことばには「命令形」がないこと。なにかを要求する時は周りの目を気にせず男ことばを使うか、「ーしてよ」という依頼形を用いるしかない
 
このような数々の「抑圧」を受けて育ってきた若い女性が新しい言葉の発信者になるのは必然と言える。
それは自分を管理する者の統制から逃れるためである
 
したがって「おこ」が大人に伝わらないような言葉であるのは当然で、自分が接する狭いコミュニティ内でのみ通用するものでいい。むしろ、大人に届くような言葉であってはならない。
良純さん、あなたには分かるはずもないのだよ。
さようなら。
 
 
 
 

■まとめ

メールやツイッター、あるいはLINEといったメディアにおいては口語的な表現が多用されており、従来の「書き言葉」のそれとは異なっている。堅苦しい言葉は避けられるし、感情的な言語も多い。それどころかLINEのスタンプに代表されるように言語を用いないようなコミュニケーション様式も爆発的に広がっている。そこに言語的矯正は存在せず、女性たちが好んで使うのも頷ける。

大人の皆さん、この時代何が起こるか分かりません。未知なる状況に対して臨機応変に対応するために「場面で」空気読んでいきましょう!